キー・ポイントトップイメージ

2009年05月01日

岐阜市の「市岐商廃止・立命館への移管」白紙撤回を検証

 

~細江市長「なぜ立命館なのか」市民へ説明責任果たさず~


岐阜県岐阜市で2年3カ月に及んだ「市立岐阜商業高校廃止・学校法人立命館(京都市)への移管」問題はさる3月27日、市議会が「ノー」を突きつけ白紙撤回された。これを受け立命館も正式に「議会の議決は重い」と計画断念を正式に表明した。賛否で市民を巻き込んだこの問題で浮き彫りになったのは何かを検証する。


06年12月細江市長の発言が発端

 「市岐商廃止・立命館への移管」問題の発端は06年12月4日に遡る。岐阜市議会本会議で市長への「今後の岐阜市の教育ブランドの展開について市長の考えを」との質問で、「先月11月10日に学校法人立命館から『市岐商の移管を受けたうえで、岐阜市における中高一貫教育の展開をしたい』との提案がありました」と唐突に立命館の名前を出して答弁したのがこの問題の出発点だった。


 それから2年3カ月後の3月27日に議会でこの問題は白紙撤回という決着をみた。立命館は、08年度内に市議会が移管推進に同意することを移管の条件としていたからだ。同日、岐阜市議会は立命館が岐阜市に対し市岐商の移管を提案している問題で本会議を開き、市長が立命館の誘致関連費を盛り込んだ09年度予算案を提出したが、移管反対派が09年度予算に盛り込んだ移管計画を進める事務費(97万円)を削る修正案を提出し22人対21人の賛成多数で可決。同時に「市岐商の廃止方針の撤回を求める決議」も可決した。移管派市議が提案した「立命館の誘致を求める決議」は否決された。


kiji.jpg
『朝日新聞』3月28日付けより


 1票差の際どい多数決となったが、これに先立つ昨年12月11日、市議会で「市岐商の当面の存続請願の採択」と「立命館の誘致を求める請願の不採択」の承認では賛成27人、反対14人、欠席と退席が各1人の結果となり圧倒的に「市岐商存続、立命館誘致反対」派が議会の多数派を占める勢力図だった。それが3カ月という短期間で1票差の際どい結果になったのは、市長が賛成派議員(主に公明党会派)に対し巻き返しを図ったためだ。市長は、この12月議会の結果を受け同月31日に辞任。今年1月、立命館への移管の是非を争点に掲げて出直し市長選に再出馬し無投票で3選されたばかりで、この問題に全力投球していた。 この議会の結論を受け市長は記者会見し「必死の努力をしたが(この結果は)残念です。市民への説明が不足していた。議会の判断も一つの民意。さまざまな議論が重ねられ、多くの市民の認識が深まり、そういう意向も踏まえられた投票行動で、民意を反映していると理解している」と述べた。同席した立命館の川口清史総長は「誠に残念な結果ですが議会の議決は大変重い。市岐商の移管による中高一貫校の設立は断念します」との見解を述べた。


出発点から「立命館ありき」

 この問題では終始、細江市長の口から「なぜ立命館なのか」が明らかにならず、市長は説明責任を果たさぬままだったのが最大の特徴だ。


 市長は06年の議会での発言後、記者会見し「立命館と岐阜市の連携・協力のための研究・協議については、覚書(案)として、人材育成や地域産業振興、まちづくりなどでの連携協議、そして連携委員会の設置、覚書の有効期間は締結の日から3年間。ただし有効期間満了の1ヶ月前までに改廃の申し入れがない場合はさらに1年間更新し、その後も同様」という内容を発表した。この議会を軽視した立命館との出来レースのような発表に議会関係者はもちろん、市岐阜商関係者、市民はハチの巣をつついたような騒ぎになったのは当然といえる。


 その後、市議会文教委員会で市長は「最初に立命館の理事長と会ったのは04年3月の京都。2度目は同年7月に岐阜市内で開かれた立命館大学の岐阜県校友会、同窓会の50周年総会、3度目は2年後の06年7月に京都」と明らかにした。そして3回目のとき「大学の管理運営のあり方や産学官連携の先進大学として地域づくりにおける連携や岐阜市が設置している学校との連携で話し合った」と発言。細江市長は02年に初当選しているが、その2年後には立命館の理事長と会っていたことになる。


 そうした中で「岐阜市に興味をもっていただき06年10月立命館の本部から岐阜市に来られた。そこで市の学校の状況や立命館の教育方針などについて意見交換し、市岐商や市岐阜女子短大を視察されて帰られた。そして11月10日に再度岐阜市を訪問されたときに『市岐商の移管を受けたうえで中高一貫教育を展開したい』と突然、立命館から提案があった」と経緯を説明した。


 しかし「なぜ立命館の理事長に会ったのか」「なぜ立命館なのか」の真意を聞く議会での質疑では、それが一切明らかにならなかった。市岐商同窓会などから慎重審議の請願書を提出する動きが出たのも必然だ。これで①立命館と覚書は締結しない②教育によるブランド化を進めるに当たり立命館の提案は真摯に受け止めるものの、立命館だけにこだわらず、さまざまな可能性や課題についても今後、議会をはじめ関係者と幅広い研究、協議を行うと表明、立命館との覚書は06年12月に白紙撤回された。


 このままでは進出に問題が生じてくると危惧した立命館は2ヶ月後の07年2月9日、正式に「岐阜市立岐阜商業高校の移管にかかる提案」を岐阜市に行った。9項目からなり、市岐商を立命館へ移管し立命館岐阜高校として新たな発展を目指すというもの。開校は高校は09年度、中学校は10年度を予定。在校生の扱いや教職員の処遇などにも触れた。


 文書には明記されていないが、提案後に立命館から校地・校舎については無償譲渡・無償貸与という条件が明らかにされた。無償譲渡などについては「学校の設置基準上、自己所有か長期の安定的な貸与にしないと運営できない。そのため形式上、いったん立命館の所有にする。学校や教育活動をしなくなれば当然、岐阜市にお返しする」との理由が話された。


 その一方で市長は07年4月、岐阜商工会議所での市民への講話で「説明不足もあって市民への理解を得られてない。今のところは立命館は我慢して待ってくれている。市民のみなさんに真剣に検討したいただいて、それでもノーということであれば、それでもいいと思います」と説明不足を認めた。それにもかかわらず、なぜ立命館と会ったのかを話すことはなかった。


最大の被害者は市岐商の生徒たち

 この立命館の提案が「なぜ市岐商の移管なのか」の論議に飛び火した。それは「市岐商の存続か、廃止か」を問うもの。市岐商の存廃についてはこれまでに論議されたことがあった。志願者が減ったことがきっかけの一つ。その活性化で1998年に男女共学と特色化選抜(中学校推薦で優秀な生徒を入学させる)で志願者が一気に増え、この5年は競争率は2倍を超える志願者になっている。


 市長は07年11月議会で市岐商の立命館への移管問題は「民意に委ねたい」と発言、生徒や父兄、市民、議会を巻き込んだ騒動の責任を回避する伏線をはった。これは議会で「ノー」となっても私の意思ではないという姿勢ととらえられた。この姿勢は行政のトップ、市岐商の立命館への移管問題の火つけ役として「卑怯極まりない」との怒りの声が出た。市長には説明責任があるからだ。


 岐阜市は「いずれ耐震の問題から校舎の改築はしなければいけないが、今の市岐商には何の問題もない」と言明しているのに、市教育委員会(6人で構成)は少子化の中での将来展望に立って意見を聞きたいと有識者会議(教育界と経済界からそれぞれ3人ずつの6人で構成)を立ち上げた。その有識者会議の議論を受けて市教委は08年3月、少子化などを理由に、市岐商の将来的廃止の方針を決めた。


 市岐商のPTAや同窓会、力を持つ野球部OB会は、自由闊達、文武両道の誇れる学校として存続を求めた。立命館への移管賛成派は「立命館ブランドが来れば、他市からも人が流入し定住化するなどから岐阜市活性化の期待ができる」との声を大きくした。反対派は「立命館の進出が、なぜ市岐商の移管なのかが理解できない。当初から立命館ありきの話で、それはどう考えてもおかしい」という立場だ。そのため「市長と立命館の間で何らかの取引があるのではないか」との疑心暗鬼も生んだ。


gishou2.jpg
市立岐阜商業高校


 被害者は市岐商在校生や今春、卒業していった生徒たちといえる。とりわけ今春の卒業生は入学した途端、自分たちの高校の廃止問題にさらされた。しかも3年間、騒動の渦中にいたわけで、楽しいはずの高校生活も精神的な動揺の中で巣立っていったと推察される。そして父兄も巻き込み家庭でも市岐商に関するいろんな意見が飛び交ったことは想像に難くない。その意味で市岐商廃止・立命館への移管に突っ走った市長の責任は重い。立命館の誘致が、なぜ市岐商の廃止になるのか、これにも説明がきちんとされなかった。


今後の市の行政課題対応に危惧

 岐阜市に課された行政課題は市岐商廃止・立命館への移管問題だけではない。ある市会議員は「産廃問題や大学病院のあり方など論議することは山積している」と話す。そして「これらの問題を論議しなければいけないが、市岐商・立命館への移管問題で議会が二分され対立する構図を生んでしまった。今や議会は政局になってしまっていて、このままではまともな議論ができないのではないか」と危惧する。この議員は一貫して立命館への移管に反対してきたが、今の心境を「疲れました」と吐露した。


 市長は白紙撤回の結論が出た後の記者会見で「この問題の責任をどう考えるか」と問われ、「辞職は考えていない。就任以来、常に市長の責任を考えながら仕事をしている。市民の生活が良くなり、幸せに感じる責任。今後もそれに向かって責任を果たしていく」と述べたが、市民にその言葉がどうとらえられたのか。昨年12月末に市長を辞任したとき、市民の間からは「この問題だけで辞職し、民意を問うのはどうか」の疑問が多く聞かれただけに、居座りと感じる市民もいるはずだ。 ただ、来年2月には任期切れとなって市長選が行われる。細江市長が続投するかどうか未定だが、岐阜市民は意思表示できる絶好の機会であることは間違いない。心ある市民は、停滞した行政課題を早急に解決するような議会運営を望んでいるが、議会が対立構図の中で果たしてそれが可能かどうか、市長の手腕が注視されるところだ。