森繁さんとの思い出と、人という財産の大切さ
森繁久弥、勝新新太郎夫妻、高嶋ちさ子さんたち
80年近く生きてきた私にとって多くの友人が、それぞれにいくつもの思い出をもたらしてくれてきたことは、私にとって一番大切な財産かもしれない。その人たちを語るときに、ありありとその当時を振り返ることができるのは無類の楽しみである。そして、その時に得た多くの感慨が、そして知識が私の糧になってきた。またその人たちのエネルギーが私の知識欲や思考回路をさらに高めてきたのである。
最近、日本最大の芸能人と言われていた森繁久弥さんが亡くなられた。森繁さんのことを考えいたら、芸能人とのいくつかのエピソードが思い出されてきたので触れてみよう。

森繁久弥さんの葬儀を報じる『朝日新聞』
森繁さんとは何度もいろいろな集まりで会っていたが、函館の近くの温泉街で一晩過ごした時のことである。その時に彼が「知床旅情」の歌い方を一対一で親身に教えてくれた。実は私はその時、「知床旅情」が森繁さんの作詞作曲であることを知らなかった。彼が「ここでこうサビを聴かせるのです」とか、その一生懸命さに私はすっかりこの歌が好きになってしまった。
私は普段からあまり歌謡曲を口すさんだりすることはないのだが、これ以後何かの集まりでどうしても歌わざるを得なくなった時は、「知床旅情」を歌うことにしたのである。
彼とハワイで一緒になった時も、「明日、海釣りに行かないか」と誘ってくれたが、私はこれまでの海釣りで一匹も釣れなかったのでと断わった。その翌朝、森繁さんが「私も一匹も釣れなかった」と話してくれたことを覚えている。相手のことを思いやる人だと感心したものである。
勝新太郎というと、豪放磊落で自由奔放な振る舞いで有名な人だが、彼と新宿の料亭で食事をした時、一緒に子どもを連れてきて英語で会話をしていたことで私は驚いたことがあった。これからは英語が必要だと自分の子どもを英語の学校に行かせていたのだ。日本的な義理人情を大切にしていた勝新さんが、国際化時代を感じ取って子どもに英語を習わさせていたことが、私には深く印象に残ったものだ。
彼の奥さんである中村玉緒さんも同席したのだが、ほとんど話はしなかった。ところが、ある時私が講演会場に出向くと、中村玉緒さんから花束が届いていた。彼女に講演会のことは教えてなかったはずだがと思っていたら、同じホテルで中村さんの会合があって、私の講演会を知って贈ってくれたのだった。なんとも礼儀正しい人であると感心した。
また高嶋忠夫さんの姻戚にあたるバイオリニストの高嶋ちさ子さんとは奇妙な出会いだった。ピアノの演奏に招待されて会場に行ったのだが、時間がギリギリだったので受付で「招待されたのだが…」と伝えた。受付嬢から「名簿に載っていません」と言われたが、時間がないので強引に入ってしまった。
ところが、高嶋さんのバイオリンの演奏が続くばかりで、ピアノ演奏が始まらない。改めて聞いてみると、同じ会場の別のホールでピアノの演奏会が開かれていたのだ。大変失礼したと恐縮したものだった。もちろん遅れてしまったが、ピアノ演奏会も聴くことができた。
その後も度々演奏会で高嶋さんと会っているが、いつもその時の話で盛り上がってしまう。なんとも奇妙な縁だが、それが人との出会いというものである。
多忙な人ほど心遣いがある
小沢一郎といえば、民主党政権の陰の実力者とも言われている人物である。民主党の幹事長であり政界ナンバー1の実力者であることは誰もが認めるところだ。その忙しい彼が京セラの稲盛和夫さんの会には必ず出席していることを見て、私は彼が非常に義理堅い人物なんだと確信している。
稲盛さんが理事長の稲盛財団に京都賞というものがある。これは、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門それぞれから世界の叡智を選びその業績をたたえるものだ。稲盛さんが私財をなげうってスタートさせた賞である。この授賞式に、小沢氏は必ず出席している。驚いたのは、4年前の総選挙の翌日に京都で行なわれた会に出席していたことだ。そして今年も党務の忙しい中、やはり京都まで出かけられて出席している。
稲盛さんはこれまで新たな政治を担う党を応援してきた。それもバックアップという形での応援である。何の利権も求めない稲盛さんらしいアプローチの仕方であった。この京都賞も同じである。しかし、そもそも稲盛賞であるべきはずのものが、「自分の名前を冠するのはどうか」との声があって京都賞になったという。日本では芸術品のコレクションも自分の名前を冠しにくいというが、日本人のヘンなねたみではないだろうか。その貴重な営為に対する感謝を示すものとして個人名を冠してもいいのではないだろうか。
財界ではソニーの盛田昭夫会長と親しくしていたが、アサヒビールの樋口廣太郎会長との付き合いも印象に残っている。私からの電話にその場で出られなくても、直後に必ず折り返しのコールバックがあるのだ。礼を失さないように社員への教育も怠らないというのが樋口さんなのであろう。
20年程前になるが、ある学会で私が息子達を紹介すると、「もう結婚しているの?」と尋ねるので「いや、まだ相手が見つからないのです」と冗談半分に言ったところ、翌日から少なくとも3~4回「こういう人はどうか?」と連絡が入ってきたのだ。
「大事なことは忙しい人に頼め」という言葉があるが、細かい気遣いなどを含めて頼りになるものである。後日、樋口さんの入院を見舞いに行ったあとも、直筆の丁寧な礼状を頂いて感心したものである。
外国の例では、アメリカの副大統領にまでなったネルソン・ロックフェラーⅢ世が上院議員だった頃、ディナーを伴にしたとがあったが、1週間もしないうちに非常に丁寧な礼状が届いた。それもお座なりなものでなく、その時の会話のテーマについての印象を添えてくれたのである。
私たちも外国人に会った時には礼状をと思うのだが、外国語というハードルもあってなかなかすぐに礼状を出さずそのままにしてしまうことがある。しかし欧米の要人達からは十中八九丁寧な礼状が送られてくる。見習いたいものだ。
人との出会いは思わぬところで印象を深め、心に残るものである。しかし、それを大切なものとして持続するには相手を思いやる心遣いが必要である。森繁さんの訃報に接し、旧知の人々を思うと同時にそういったことに思いを馳せたのだった。


